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この歌が流行った頃からずっと吉幾三さんの曲を聞いてきた青森県人。そんな私も40代後半になり、吉幾三さんの歌がより一層の身に染みるようになりました。いつまでも元気に歌い続けてください。
何度みても泣いてしまいます。お父さんの優しい笑顔がとても素敵です。このご両親あっての吉さんなんだと納得しました。
親の思い、、本当に感動し身に染みます、、 大変貴重なもの 誠にありがとうございます
親が子を思い、子が親を思い、とても愛おしいくて泣けます🙏吉さん素敵な方です♪
いちどは故郷を捨て親を捨てた負い目と悲しみが、吉幾三の曲や歌唱に深みを与えたと思う
お母さんの 優しい言葉 日本の 母 やさしい お父さん 羨ましいです
津軽金木からギター1本担いで東京へ。大変なご苦労があったのでしょう。涙ながらに聴きました。
親子の絆を感じて暖かい気持ちになりました。時折、地元に帰って畑仕事してる吉さん
貴重な映像ですね。父親は昭和天皇の御前で民謡を披露したほどの民謡の名手であり、そのことについて吉は「親父は超えられない」と語っている。
さすが!千さんに匹敵するうまさ。
お母さんの言葉に号泣しました。青森、帰りたくなりますけど、今は我慢。。
朝からオススメで見ちゃったら涙がとまらない…ご両親の貴重な映像ありがとうございます。今では、東京 青森間は新幹線で3時間ですが、当時は汽車で1日位かかって なかなか会えなくなるから、心配だったんでしょうね。本当に素敵なご両親です☺️
ですね。
思わず、お母さんの、暖かい言葉に、涙が、こぼれました‼️ こんなご両親から吉幾三は育ったんだ お陰で、味の有る、いい唄が、出来て要る( -_・)?ですね。私も東北で小さい頃を、思い出し、 涙が溢れました‼️
本当ですね 吉さんの 姿魅せて 頂いたようですね
中学卒業後、夢を叶える為に父親の反対を押し切って単身上京。なかなか出来ることではありません。それだけの情熱と努力があるからこその今の吉幾三さんですね。両親共に五所川原ではありませんが青森出身。誇りです。やってまれ!田舎のプレスリー!
どこの親父も、亡くなるまで、同じですね。私しも、芸能会えとはいりたかった、1人りですす。今では、町の民謡を習っており、吉さんの、父の民謡も、父母から、聞いて、降ります。鎌田と、うまいんだー、私しも、こんな体でなかったら、おら東京さいくだー
いろ、わたしのしらなかったこと、ありがとう、ございます、おべんきょうになります😮
よしさん、くろうされ、がんばられ、いまの、よしさんが、あるのを、よーくわかりした、べんきようになりま❤😊
ありがとうございました🧖😅
この後、故郷で両親に孝行するために帰郷し一緒に暮らされた吉さん⭐️優しく親想いな立派な人間で足元にも及ばない自分は恥ずかしい😌
吉さんかっこいいよな。憧れるよ。
確かに
彼の曲には人の温もりを感じさせてくれる名曲がいっばいある彼自身の人生はもちろん青森の方々そして東北の方々の人生(人生感)がたくさんたくさん詰まってて時にはユニークな曲だったり時にはグッと心に染み入るような曲だったりすべてが彼自身の人柄からくるんだろうなぁ……
泣けて仕方がない。
お父さんも吉幾三さんも歌が本当に上手です。
かっこよすぎます
よしさんの方言のうた、あったかくて、いやされます、🧖🌼💖
ご両親を見て、納得しました、よしさんの人柄さいこうです、こんな男性いないね、これからも頑張って、歌聞かせてくださいね、お父さんの津軽平野全部歌って欲しかった、お上手すぎます。
私も青森県で生まれました幼稚園の年長の時に今は亡き父の転勤で九州の引っ越してん10年住んでいます青森に帰りたいです。
本当に私も駅で母と泣き泣き別れた昔を思い出します。喜寿となりし今親へ感謝してます。幼い頃は何がなくても幸せでした。本当の幸せをみんなで思い起こす時にきてると思います。吉さんありがとうございます
ご両親の津軽弁を聞くと亡き父、母、祖母を思い出します、今年のお盆は墓参りに帰ろうかな・・・。
涙がでました!ヨシさん応援してます!
吉幾三先生さん泣ける両親だね、俺は早く両親亡くしてるからいつも元気貰ってます
貴重な映像ですね。びっくりです。
いや〰️吉幾三さんの唄には魂がこもってるな⤴️☺️良い唄これからも唄って下さいね✨
東北の魂、吉幾三、大好き!長生きしてほしい「殆ど東京の人になったから訛り忘れた」なんて嘘だと思います☺
訛り忘れた。じゃないと思う。そもそもの言葉が違うのではないかなと…(金木と青森市ぐらいの違い)
初めて動画で、幾三さんのこの唄を聴きました、とても懐かしく昔の自分を思い出して涙を流しました、お母様の言葉が身に沁みますね、私も東北から就職で初めて東京に出てきた時の事を昨日の事に様に思い出しました、今は押しも押されない大スターになって素晴らしいです、ずーと応援しています。
吉幾三さんのお父さんとお母さん初めて見せて頂きました。お父さんも歌がうまいですね。お母さん心 あたたまる言葉を息子に送っておられ本当にじんときました。😧私の主人も14歳で岩手から集団就職で東京に出て来て45年に滋賀に来ました。ご両親の思いが伝わりますね。吉さんの作る歌は心に残る歌 多いですね。凄いお父さん、お母さんですね。
私は両親に虐待を受けてしまってとても辛いですが、津軽平野と俺ら東京さ行ぐだ聴いて、そして私の大元の故郷は吉さんと同じ場所だったそうです。だから津軽弁が聞き取れるんです、不思議ですね。今は毎日泣いて暮らしてますが、必ず笑って楽しくスターになる目標があります!
40年ぐらい前の映像ですよね。それでも大都市に住む私には、国か時代が違うようにさえ見えます。当時すでに津軽平野ができていたとは知りませんでした。貴重な映像、ありがとうございました⭐
津軽平野はまさに、民謡ですね
お父さんとお母さんの愛情を聞いてもらい泣きしてしまいました
まさか涙流しながらこの歌聞く日が来るとは・・・。
青森には4つの方言があることを多分ご存知ないと思われますが津軽弁 南部弁 下北弁それに吉幾三さんの田舎金木(現)五所川原弁とあります 中でも1番何を言ってるのかさっぱり分からないのが五所川原弁なんですよ
天才ですね。素晴らしいです。
むかし、陸の孤島と言われた北海道の地域で農家の末っ子で育ちました。今は関東に住んでおります。祖先は東北からの開拓者で幼少の頃から聞きなれてた言葉いっぱいです。
とても貴重な映像ありがとうございます。
感動
泣くしかないでしょこんな動画、、、永久保存だよ!
吉幾三先生のお兄様から缶コーヒーとラーメン定食奢ってもらいましたありがとうございました!
酔うたびにこれを見ては涙してます。
津軽を故郷を愛している幾三!。青森のモツケ。青森の詩人。青森の歌手。青森の酒飲み。長生きして詩を書き続け。歌え続けろ!!!。
ヤッパ、上手いネエー声に男の色気がある
すごく懐かしい!
先日、五所川原を通りましたが、歌とはまるっきり反対で国道沿いには多種多様なお店が立ち並んでました
津軽に帰りたい😭💦
縛れる冬の寒さに~岩木の山々が~津軽平野の田の雪見れば、~岩木恋しや古里見つめ~友の頭つらさこみれば~岩木の山を見上げる~母の言葉こさえ~思いだす。吉幾三の頭にも~母の思いの涙流れる~岩木の山の思いで父の涙にも~思いで涙~。
吉幾三ラッパー💓👏元祖、おら東京さ行くだ🎶👍👍👍北津軽から、東京さ出て来てくれたはんで😭👏💓~数々の素晴らしい名曲素晴らしい歌謡がこの世に生を受け私たちに💓涙と感動とを届けてけてありがとう😆💕✨お父さん💓お母さん💓初めまして😍🎶ホームでの旅だちのシーン😭目にうかびます😭👋🚃 今も吉幾三さん💓大好き😍💓💓吉幾三さんこそ!2020コロナ禍、NHK紅白に出場せねばまいねよ😢ま私の亡くなった大阪の夫は酒を飲み酒に飲まれ😢、いつも吉幾三さんの🎵酒よ🎵を歌っていました😢💧今は、TUGARU🎶吉幾三ラッパー💓RUclipsを毎日視聴させて頂き😍👍元気😃✨いっぱいもらっていますよぉ😍💓大好き😍💓💓吉幾三さん💓飲み過ぎにご留意なさり、60代後半もご健勝でありますように💓 昔の(涙)(涙)(涙)😢の吉幾三さん💓大変のご苦労の日々😢そしてベストテンでの演歌の1位👍👏✨ あなたは津軽の天才シンガー・ソングライターです😃👍🎶💕💕
お父さん、歌凄い上手い。
鎌田稲一さん、青森の民謡界で名前を知らぬ方は居なかったみたいですよ。天皇陛下の前でも歌われた事があるとか。
@@最上正明 なるほど❗️そのくらいの実力、説得力が有る歌声です。
吉幾三さんはこの番組が放送された頃は津軽訛りがあったが今はどうでしょうか?吉さ😊んの出身地の青森県の津軽半島の近くの出身(多分、下北半島方面。)のユ―チュ―バ―のコ―キさんは全く訛りがないですが?しかし、冬の北津軽郡は雪が凄いですね!暮らしも大変そう!
友よ・・。生きる・・・暮らしの中で・・・仲間・・・・絆・・・・
やべぇ涙腺崩壊した〜(´;ω;`)
津軽弁の言葉を理解するようになりたいです。素敵な津軽弁好きです。
当チャンネルの中に、津軽弁に日本語訳を付けた唄「TSUGARU~」と「津軽人形芝居」をアップしてありますので、興味がありましたらご覧になってください。
あいや😃👍🎶親切だこと😍🤘💕早速見ねばまいねの😃🎶🎶 ありがとうございます🤘😉🎶🎶💕💕
最初の曲なに!?カッコよすぎ
たまらんな
これは電車の中で観ちゃうとヤバいやつだ。゚(PД`q*)゚。
もらい泣き、為て、しまいます。
男の子はやっぱお母さん子で甘えん坊ですよね😂
歌上手いなぁ…。。
いやされます
お父さんのDNA貰って、良かったなあ、
パパも歌うますぎ
演歌のシンガーソングライター。世界一!
お父様、お母様は、凄く嬉しく、五所川原の誉れ、、親孝行しましたね!パンツ二足って、?靴下見たいに、笑
吉さん、なかせるなよ・・・・
津軽の父母に行われる言葉こ、一番あじあいしみる、夜の三畳一間のアパート生活で、私しも泣いた、あの日々の出稼ぎ労働者生活、日に日に、時間が、遠く父母の声が~、父80歳で、今思えば、辛い日も泣いた日もあったけど、我に引かれ、自分も、まいあがっていた。あの日。生きる・・・・。友よ・・・・。絆・・・・。
たったーまいのコノシロに、愛と情熱との想い、銀座で、食べると、こんなにも高いんだと、私しには、わかります。
演歌には北国が合います。お父さんも歌、上手い。
故知でも、もらい泣き、私しも、15 歳で東京へ、住むと孤児無い、
自分が、子供を物っようになって、父母の心がよく解ります。吉さん、佐藤たさぐさんは、しつてますか、?昔五所川原で吉さんの父と、民謡を遣った、ミージャン
お父さんは歌が上手いね😋
8:40過ぎから東京へギターだけ担いで青森を出た時の想い出、東京で成功するか不安だった思い、成功出来た思い、青森を出たけど故郷へ帰りたい気持ち、『こんな村嫌だ』と歌うけど本心じゃない気持ちなどあれこれ込み上げて思わず耐え切れず声詰まらさせて泣いたんだろうね…ruclips.net/video/yIT6QD3qZ04/видео.html↑このベストテンで故郷で歌う時も同じ所で歌えなくなり泣いたのを観ると『こんな村嫌だと歌うのは本当は嫌だ…』と思ってると感じます…
どこの母にも~時間経てば、母の恩と、友の情けには、負けますね。
ありがとうございます、しりませんでした、おやこうこうもされて、それで、うたにとってもよいあじが、あり🐿️😉
私しも、55歳に為りますが、貧乏で、15歳で、上野へ出稼ぎ労働者ですよね。体でも悪くなかったら、芸能界へ入社していたかもね、
この津軽の方言?今の地元の若い人は聞き取れますか?
難しいですね…やはり方言が緩和されたのは、テレビの普及が多いでしょうね。テレビで標準語の放送見てるから、自然と方言も標準語に近くなっていったんでしょう。
本当に格好いいってこうゆう事ですよね‼️ダサい?イヤイヤ超格好いいから‼️
居酒屋で津軽山唄を唄ってる人もプロ級なんだが...ヤバい上手い❗三味線伴奏つけば誤魔化しきくけど山唄は誤魔化しがきかない~
山唄を唄われていたのは、地元金木町の郷土民謡研究家 白川章一さんで、青森県内の津軽民謡大会では数々の優勝をされていた方です。
@@kawakura4425 なるほど~そうですよね❗声量と節回しがプロだと思いました。私は岸千恵子さんの生まれた隣街で育ちました。当時はバブル期でスキー場やサーフプールレジャー施設で大変賑わってました。今は街を出てますが、子供の頃から津軽民謡が大好きで自転車に乗って黒石浅瀬石の上川原橋へ行ったり「夢の祭り」撮影ロケ地の乳井神社へ行ったりしてました。
吉幾三さん、つぎわ、おら、田舎さ戻るんだ。と言った唄を作って見ますか。
最初、、どブルースやんか…本物や
人の親でも、自分の親のよに~・・・・私し、55になりますが、男親が無くなって、思うように、なりました、今の時代の自分
これはなんという番組ですか?
Debió contar algo muy triste ..
40になります・・・・
両親が言ってること、本当に分からない(笑)
別の国見てるみたい・・・
요시 이꾸죠 조아요
울 하야마 보고싶다
2分14秒辺りの歌ってる人、黒石八郎に似てる。
前から思ってましたが津軽弁は朝鮮語に聞こえますね そのあたりのルーツを知りたいです
そしてバイオハザードとコラボ、人生は面白い!ちなみに消防団の服は急遽誂えたらしい。
なんか、金の卵時代思い出しますね😢
リアルタイムで見た記憶ない
歌う農従事者
津軽の古里
青森もゆきだななつかしようたね
お父さん、いたほうが、気が楽でしょ
今の吉幾三さんは、寺尾聰さんと佐野史郎さんを足して2で割った感じとなりました。
俺らアメリカさいくだ
五所川原弁ですね全く何言ってんのか分かりません(笑)フランス語に聞こえるよ
金木弁。太宰治もそうだったかも。
8:47
この歌が流行った頃からずっと吉幾三さんの曲を聞いてきた青森県人。
そんな私も40代後半になり、吉幾三さんの歌がより一層の身に染みるようになりました。
いつまでも元気に歌い続けてください。
何度みても泣いてしまいます。
お父さんの優しい笑顔がとても素敵です。
このご両親あっての吉さんなんだと納得しました。
親の思い、、本当に感動し身に染みます、、 大変貴重なもの 誠にありがとうございます
親が子を思い、子が親を思い、とても愛おしいくて泣けます🙏吉さん素敵な方です♪
いちどは故郷を捨て親を捨てた負い目と悲しみが、吉幾三の曲や歌唱に深みを与えたと思う
お母さんの 優しい言葉 日本の 母 やさしい お父さん 羨ましいです
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涙ながらに聴きました。
親子の絆を感じて暖かい気持ちになりました。
時折、地元に帰って畑仕事してる吉さん
貴重な映像ですね。
父親は昭和天皇の御前で民謡を披露したほどの民謡の名手であり、そのことについて吉は「親父は超えられない」と語っている。
さすが!千さんに匹敵するうまさ。
お母さんの言葉に号泣しました。
青森、帰りたくなりますけど、今は我慢。。
朝からオススメで見ちゃったら
涙がとまらない…
ご両親の貴重な映像ありがとうございます。今では、東京 青森間は新幹線で3時間ですが、当時は汽車で1日位かかって なかなか会えなくなるから、心配だったんでしょうね。
本当に素敵なご両親です☺️
ですね。
思わず、お母さんの、暖かい言葉に、涙が、こぼれました‼️ こんなご両親から吉幾三は育ったんだ お陰で、味の有る、いい唄が、出来て要る( -_・)?ですね。私も東北で小さい頃を、思い出し、 涙が溢れました‼️
本当ですね 吉さんの 姿
魅せて
頂いたようですね
中学卒業後、夢を叶える為に父親の反対を押し切って単身上京。
なかなか出来ることではありません。
それだけの情熱と努力があるからこその今の吉幾三さんですね。
両親共に五所川原ではありませんが青森出身。誇りです。
やってまれ!田舎のプレスリー!
どこの親父も、亡くなるまで、同じですね。私しも、芸能会えとはいりたかった、1人りですす。今では、町の民謡を習っており、吉さんの、父の民謡も、父母から、聞いて、降ります。鎌田と、うまいんだー、私しも、こんな体でなかったら、おら東京さいくだー
いろ、わたしのしらなかったこと、ありがとう、ございます、おべんきょうになります😮
よしさん、くろうされ、がんばられ、いまの、よしさんが、あるのを、よーくわかりした、べんきようになりま❤😊
ありがとうございました🧖😅
この後、故郷で両親に孝行するために帰郷し一緒に暮らされた吉さん⭐️優しく親想いな立派な人間で足元にも及ばない自分は恥ずかしい😌
吉さんかっこいいよな。憧れるよ。
確かに
彼の曲には人の温もりを感じさせてくれる名曲がいっばいある
彼自身の人生はもちろん青森の方々そして東北の方々の人生(人生感)がたくさんたくさん詰まってて
時にはユニークな曲だったり時にはグッと心に染み入るような曲だったりすべてが彼自身の人柄からくるんだろうなぁ……
泣けて仕方がない。
お父さんも吉幾三さんも歌が本当に上手です。
かっこよすぎます
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ご両親を見て、納得しました、よしさんの人柄さいこうです、こんな男性いないね、これからも頑張って、歌聞かせてくださいね、お父さんの津軽平野全部歌って欲しかった、お上手すぎます。
私も青森県で生まれました
幼稚園の年長の時に今は亡き父の転勤で九州の引っ越してん10年住んでいます
青森に帰りたいです。
本当に私も駅で母と泣き泣き別れた昔を思い出します。喜寿となりし今親へ感謝してます。幼い頃は何がなくても幸せでした。本当の幸せをみんなで思い起こす時にきてると思います。吉さんありがとうございます
ご両親の津軽弁を聞くと亡き父、母、祖母を思い出します、今年のお盆は墓参りに帰ろうかな・・・。
涙がでました!ヨシさん応援してます!
吉幾三先生さん泣ける両親だね、俺は早く両親亡くしてるからいつも元気貰ってます
貴重な映像ですね。びっくりです。
いや〰️吉幾三さんの唄には魂がこもってるな⤴️☺️
良い唄これからも唄って下さいね✨
東北の魂、吉幾三、大好き!長生きしてほしい
「殆ど東京の人になったから訛り忘れた」なんて嘘だと思います☺
訛り忘れた。じゃないと思う。
そもそもの言葉が違うのではないかなと…(金木と青森市ぐらいの違い)
初めて動画で、幾三さんのこの唄を聴きました、とても懐かしく昔の自分を思い出して涙を流しました、お母様の言葉が身に沁みますね、私も東北から就職で初めて東京に出てきた時の事を昨日の事に様に思い出しました、今は押しも押されない大スターになって素晴らしいです、ずーと応援しています。
吉幾三さんのお父さんとお母さん初めて見せて頂きました。お父さんも歌がうまいですね。お母さん心 あたたまる言葉を息子に送っておられ本当にじんときました。😧私の主人も14歳で岩手から集団就職で東京に出て来て45年に滋賀に来ました。ご両親の思いが伝わりますね。吉さんの作る歌は心に残る歌 多いですね。凄いお父さん、お母さんですね。
私は両親に虐待を受けてしまってとても辛いですが、津軽平野と俺ら東京さ行ぐだ聴いて、そして私の大元の故郷は吉さんと同じ場所だったそうです。だから津軽弁が聞き取れるんです、不思議ですね。今は毎日泣いて暮らしてますが、必ず笑って楽しくスターになる目標があります!
40年ぐらい前の映像ですよね。それでも大都市に住む私には、国か時代が違うようにさえ見えます。当時すでに津軽平野ができていたとは知りませんでした。貴重な映像、ありがとうございました⭐
津軽平野はまさに、民謡ですね
お父さんとお母さんの愛情を聞いてもらい泣きしてしまいました
まさか涙流しながらこの歌聞く日が来るとは・・・。
確かに
青森には4つの方言が
あることを多分ご存知
ないと思われますが
津軽弁 南部弁 下北弁
それに吉幾三さんの田舎
金木(現)五所川原弁と
あります 中でも1番何を言ってるのかさっぱり分からないのが五所川原弁なんですよ
天才ですね。素晴らしいです。
むかし、陸の孤島と言われた北海道の地域で農家の末っ子で育ちました。今は関東に住んでおります。
祖先は東北からの開拓者で幼少の頃から聞きなれてた言葉いっぱいです。
とても貴重な映像ありがとうございます。
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泣くしかないでしょ
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酔うたびにこれを見ては涙してます。
津軽を故郷を愛している幾三!。青森のモツケ。青森の詩人。青森の歌手。青森の酒飲み。長生きして詩を書き続け。歌え続けろ!!!。
ヤッパ、上手いネエー
声に男の色気がある
すごく懐かしい!
先日、五所川原を通りましたが、歌とはまるっきり反対で国道沿いには多種多様なお店が立ち並んでました
津軽に帰りたい😭💦
縛れる冬の寒さに~岩木の山々が~津軽平野の田の雪見れば、~岩木恋しや古里見つめ~
友の頭つらさこみれば~岩木の山を見上げる~母の言葉こさえ~思いだす。
吉幾三の頭にも~母の思いの涙流れる~岩木の山の思いで父の涙にも~思いで涙~。
吉幾三ラッパー💓👏元祖、おら東京さ行くだ🎶👍👍👍
北津軽から、東京さ出て来てくれたはんで😭👏💓~数々の素晴らしい名曲素晴らしい歌謡がこの世に生を受け私たちに💓涙と感動とを届けてけてありがとう😆💕✨
お父さん💓
お母さん💓
初めまして😍🎶
ホームでの旅だちのシーン😭目にうかびます😭👋🚃
今も吉幾三さん💓大好き😍💓💓
吉幾三さんこそ!2020コロナ禍、NHK紅白に出場せねばまいねよ😢
ま私の亡くなった大阪の夫は酒を飲み酒に飲まれ😢、いつも吉幾三さんの🎵酒よ🎵を歌っていました😢💧
今は、TUGARU🎶吉幾三ラッパー💓RUclipsを毎日視聴させて頂き😍👍元気😃✨いっぱいもらっていますよぉ😍💓大好き😍💓💓吉幾三さん💓
飲み過ぎにご留意なさり、60代後半もご健勝でありますように💓
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大変のご苦労の日々😢そしてベストテンでの演歌の1位👍👏✨
あなたは津軽の天才シンガー・ソングライターです😃👍🎶💕💕
お父さん、
歌凄い上手い。
鎌田稲一さん、青森の民謡界で名前を知らぬ方は居なかったみたいですよ。天皇陛下の前でも歌われた事があるとか。
@@最上正明
なるほど❗️
そのくらいの実力、説得力が
有る歌声です。
吉幾三さんはこの番組が放送された頃は津軽訛りがあったが今はどうでしょうか?吉さ😊んの出身地の青森県の津軽半島の近くの出身(多分、下北半島方面。)のユ―チュ―バ―のコ―キさんは全く訛りがないですが?
しかし、冬の北津軽郡は雪が凄いですね!暮らしも大変そう!
友よ・・。生きる・・・暮らしの中で・・・仲間・・・・絆・・・・
やべぇ
涙腺崩壊した〜(´;ω;`)
津軽弁の言葉を理解するようになりたいです。素敵な津軽弁好きです。
当チャンネルの中に、津軽弁に日本語訳を付けた唄「TSUGARU~」と「津軽人形芝居」をアップしてありますので、興味がありましたらご覧になってください。
あいや😃👍🎶
親切だこと😍🤘💕
早速見ねばまいねの😃🎶🎶
ありがとうございます🤘😉🎶🎶💕💕
最初の曲なに!?
カッコよすぎ
たまらんな
これは電車の中で観ちゃうとヤバいやつだ。゚(PД`q*)゚。
もらい泣き、為て、しまいます。
男の子はやっぱお母さん子で甘えん坊ですよね😂
歌上手いなぁ…。。
いやされます
お父さんのDNA貰って、良かったなあ、
パパも歌うますぎ
演歌のシンガーソングライター。世界一!
お父様、お母様は、凄く嬉しく、五所川原の誉れ、、親孝行しましたね!
パンツ二足って、?
靴下見たいに、笑
吉さん、なかせるなよ・・・・
津軽の父母に行われる言葉こ、一番あじあいしみる、夜の三畳一間のアパート生活で、私しも泣いた、あの日々の出稼ぎ労働者生活、日に日に、時間が、遠く父母の声が~、父80歳で、今思えば、辛い日も泣いた日もあったけど、我に引かれ、自分も、まいあがっていた。あの日。生きる・・・・。友よ・・・・。絆・・・・。
たったーまいのコノシロに、愛と情熱との想い、銀座で、食べると、こんなにも高いんだと、私しには、わかります。
演歌には北国が合います。お父さんも歌、上手い。
故知でも、もらい泣き、私しも、15 歳で東京へ、住むと孤児無い、
自分が、子供を物っようになって、父母の心がよく解ります。吉さん、佐藤たさぐさんは、しつてますか、?昔五所川原で吉さんの父と、民謡を遣った、ミージャン
お父さんは歌が上手いね😋
8:40過ぎから東京へギターだけ担いで青森を出た時の想い出、東京で成功するか不安だった思い、成功出来た思い、青森を出たけど故郷へ帰りたい気持ち、『こんな村嫌だ』と歌うけど本心じゃない気持ちなどあれこれ込み上げて思わず耐え切れず声詰まらさせて泣いたんだろうね…
ruclips.net/video/yIT6QD3qZ04/видео.html
↑このベストテンで故郷で歌う時も同じ所で歌えなくなり泣いたのを観ると『こんな村嫌だと歌うのは本当は嫌だ…』と思ってると感じます…
どこの母にも~時間経てば、母の恩と、友の情けには、負けますね。
ありがとうございます、しりませんでした、おやこうこうもされて、それで、うたにとってもよいあじが、あり🐿️😉
私しも、55歳に為りますが、貧乏で、15歳で、上野へ出稼ぎ労働者ですよね。体でも悪くなかったら、芸能界へ入社していたかもね、
この津軽の方言?今の地元の若い人は聞き取れますか?
難しいですね…やはり方言が緩和されたのは、テレビの普及が多いでしょうね。
テレビで標準語の放送見てるから、自然と方言も標準語に近くなっていったんでしょう。
本当に格好いいってこうゆう事ですよね‼️ダサい?イヤイヤ超格好いいから‼️
居酒屋で津軽山唄を唄ってる人もプロ級なんだが...ヤバい上手い❗
三味線伴奏つけば誤魔化しきくけど山唄は誤魔化しがきかない~
山唄を唄われていたのは、地元金木町の郷土民謡研究家 白川章一さんで、青森県内の津軽民謡大会では数々の優勝をされていた方です。
@@kawakura4425 なるほど~そうですよね❗声量と節回しがプロだと思いました。
私は岸千恵子さんの生まれた隣街で育ちました。当時はバブル期でスキー場やサーフプールレジャー施設で大変賑わってました。
今は街を出てますが、子供の頃から津軽民謡が大好きで自転車に乗って黒石浅瀬石の上川原橋へ行ったり「夢の祭り」撮影ロケ地の乳井神社へ行ったりしてました。
吉幾三さん、つぎわ、おら、田舎さ戻るんだ。と言った唄を作って見ますか。
最初、、どブルースやんか…本物や
人の親でも、自分の親のよに~・・・・私し、55になりますが、男親が無くなって、思うように、なりました、今の時代の自分
これはなんという番組ですか?
Debió contar algo muy triste ..
40になります・・・・
両親が言ってること、本当に分からない(笑)
別の国見てるみたい・・・
요시 이꾸죠 조아요
울 하야마 보고싶다
2分14秒辺りの歌ってる人、黒石八郎に似てる。
前から思ってましたが津軽弁は朝鮮語に聞こえますね そのあたりのルーツを知りたいです
そしてバイオハザードとコラボ、人生は面白い!
ちなみに消防団の服は急遽誂えたらしい。
なんか、金の卵時代
思い出しますね😢
リアルタイムで見た記憶ない
歌う農従事者
津軽の古里
青森もゆきだななつかしようたね
お父さん、いたほうが、気が楽でしょ
今の吉幾三さんは、寺尾聰さんと佐野史郎さんを足して2で割った感じとなりました。
俺らアメリカさいくだ
五所川原弁ですね
全く何言ってんのか
分かりません(笑)
フランス語に聞こえるよ
金木弁。太宰治もそうだったかも。
8:47